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坂牧良太「おおたわけの記」

舞台「ひたちなかのラベンダー」について。演技とは境界を踏み越えるとは。

「ひたちなかのラベンダー」この戯曲は俳優がその世界で会話をしていなければならない。今回のような出演者が少数で、更に客席が近い場合は時として俳優が“そこにいなくなる時”がある。つまり、マシーンが台詞を言うような状況になる。

俳優の生理がその時にどうなっているかは解らない。ただ、この悪意のある地獄を観客に体感させるには、俳優が役として、更に自分として物語を生きなければならない。つまり、自分が見られたくない部分を見せなくてはいけないと思う。例えば抱き合う時の肌を感じた時、俳優は何を感じたのか。そこに俳優は何を感じたのか。役の設定にのっただけの演技では物足りなさが残る。

あの至近距離ではどうしても俳優が何を感じたかに気がつく人がいる。つまり「役を演じている自分と舞台の上に立っている自分」の境界までいって欲しい、そうする事で目の前の地獄を観客は覗き見ているような気分になるのだと僕は思う。

昨日観た「ひたちなかのラベンダー」の演技で一番気になったのが、そこである。俳優たちは自分が「自分がなぜこの役に選ばれたのか」をもっと考え、もっと台本を読み込む必要があったのではないか。そこに少しでも自分の本能的な何かを入れる事が出来れば、もっと良くなったのではないか。それを僕は観たかった。

戯曲「ひたちなかのラベンダー」は相当面白い。演じたいと思う俳優が沢山いると思う。だからこそ、役を与えられた俳優はもっと役と自分の接点を見つけ、自分として演じられる部分を捜さなくてはならない役として理性的に演じながらも、時に思わず本能的な部分が出る瞬間を見たいと思った。

「くさいのよ」と言う台詞がある。あの台詞を言う時、その前段階として俳優は相手役の俳優を本能的に嫌なのか、それとも狙いなのか。それともどちらもなのかを表現して欲しい。そこをどう見せるか。それがあの距離の芝居では必要な事なのだと思う。

付け焼き刃的な演技は通用しない。どこまで演技をする身体を舞台上に持っていくかを試される戯曲が「ひたちなかのラベンダー」なのである。昨夜観た芝居はそこまでいっていなかったように思う。

でも今日は変わっているだろう。そう思う。あの戯曲を、あの地獄を体感できる喜びを俳優が感じられれば。本当に俳優の力を試される戯曲だから。

是非舞台で観て体感してもらいたい舞台です。

救急車に乗ったのだ。

昨夜、救急車に乗りました。

理由は腹痛です。びっくりするくらいの腹痛で「あ、これはまずい」と思いました。

とはいえ、救急車を呼ぶのってちょっと勇気がいります。起き上がれないほどの痛み。流れる脂汗。・・・・・・でもうん◎がのせいだったら。うん◎さえ出れば治るかもしれないじゃないか。痛む腹を抑えながら、何度もトイレへ。

しかし、うん◎が出る気配は全くない。ガスさえ出ない。痛みはどんどん強くなっていき、立ち上がれない程になりました。「うん◎、何故出ない・・・・・・」。タクシーで病院に行こうと思ったのですが、もはや起き上がる事すら出来ない痛みでした。

やむを得ず119番に電話。「あ、それは大変ですね。今から向かいます」僕としてはこれって救急車を呼んだ方がいいんですかね?という確認をしたかったのだが、緊急電話は”かけたら来る”という潔い設定だったんですね。

これで救急車が来る事が確定。

とても気まずい気持ちで救急車を待ちます。「ああ。これで近所迷惑になる」。痛みの中でも、ご近所付き合いを気にする38才男。

だって絶対に救急車がついたら見られるじゃないですか。なんか恥ずかしいんですよ。見られる事が。

そんな事を考えているうちに、救急車のサイレンの音が近づいてきます。サイレン音が止まる。「あ、ついた」と思ったらすぐに、ドアがノックされ家に入ってくる救急隊員さん達。

「どうしましたか?」という優しい声と、持っている物々しい機材のギャップがちょっと怖い。症状を説明すると「解りました。じゃあ救急車に乗りましょう」と優しい声で言ってくれた。「優しい・・・・・・いい人だ」。当たり前の事なのかもしれないが、こういう言葉が患者を安心させてくれるんだな。

なんて思っているうちに、ストレッチャーに乗せられ救急車へ。多分、近所の人が見ていたと思うがメガネを外して”気がつかないようにした”。

救急車の中で簡単な問診。「大袈裟ですかね」と言うと「この症状だったら行った方がいいですよ」と優しいお言葉。多分年下であろう救急隊員さんの言葉に「あ、呼んでも良かったんだ」とホッとする38才男。

驚くぐらいのスピードで病院に到着。動けないので、もうされるがままである。救急隊員さんから、女医さんに引き継がれる。ERは若い人が多い。結構混んでいる。

「どうしました?」またもや優しい声。正直、この優しさに涙が出そうだった。優しさに弱い38才男。

症状を説明すると、触診。そして、すぐに血液をとられて点滴。女医さんに「お腹を調べましょうね」と言われる。”お腹”と言われる年でもないんだけどなと思いながらも頷く。

ERなだけに老若男女、様々な症状の人達が自分の症状を説明している。慣れた感じの老婦人。泣き止まない赤ちゃん。隣の男性は尿道カテーテルを入れると言われて「痛いんですよね?」と不安そう。

海外ドラマ「ER」のそのまんまだ。僕は相変わらず、腹痛に脂汗を流し続ける。でもここまで来れば”まな板の上の鯉”である。

その後、腹部レントゲンを撮って、心電図も撮る。これで「人間ドック」に来なくて平気だな。くだらない事を考えながら、診断結果を待つ。待つ。待つ・・・・・・。

1時間くらいして20代の男性のお医者さんがやってくる。さっきの女医さんは何処へ・・・・・・かわいかったのに。

・・・・・・そうなのである。気がついている人は気がついていると思うが、この頃にはこんな事を考えられる”余裕”が出来ていたのだ。

・・・・・・腹痛が先ほどよりは改善してきている。やっぱり大袈裟だったのかもしれない。救急車を呼んだ後悔と、ここまで親身に調べてくれた人達の顔が浮かぶ。

お医者さんに「食べ物が消化せずに、腸にとどまっているのだと思います」と言われた。大袈裟に言えば腸閉塞。ただ凄く軽い。

「ここにいて頂いて、様子を見ましょう」笑顔のお医者さんに「大袈裟でしたね」と言うと。真剣な顔になって「痛みは強かったと思います。来て頂いて調べないと駄目ですよ」と言われた。ちょっと救われた気がした。

朝の4時、腹痛も治まってきた。20時頃に病院に行った訳だから。軽い入院である。笑顔のお医者さんに血液検査などの結果を言われる。

・・・・・・健康になっていた。最近節制をしていたので、それが結果になって現れたのだ。腹痛で健康を知るというのはおかしな気分である。

お医者さんは最後にこう言った「皆さん、救急車を呼ぶのは大袈裟だと思うのです。ですが、もし大きな病気だった場合は来て頂けなければ診察出来ません。我慢すればなんとかなると思うという人が多いのですが、それでは手遅れになりかねません。辛いと思ったら遠慮なく来て下さい」確かにそうだろう。寝ればなんとかなってきた僕からすると耳の痛い話である。

寝てもなんともならなかったら。気合いでもどうしようもなかったら。今回、病院に行って良かったのだろう。会計の時に多少立ちくらみがしたが、この立ちくらみは出費のショックが原因だろう。

皆さんも症状が中々改善しない場合は救急車を呼ぶ事に躊躇しないでいいと思います。今回、僕の腹痛は休んでいたら改善しましたが、手術をしなければ改善しない病気もあるのですから。

・・・・・・ゴキブリが出たから、酔っ払って家に帰れないから、話し相手が欲しいから・・・・・・というモンスター達以外はお医者さんにきちんと診てもらいましょう。

明け方の太陽を浴びながら、僕の腸にひっかかっていたのはなんだったんだろうと考えました。帰宅から3時間。まだ答えは出ていません。

今、腹痛はありません。長い夜でした。

そろそろ色々と健康に気を使わないといけないのかなと思っています。

うん◎はまだ出ていません。出なかったら、また病院に来て下さいと言われているので、早く出るように願っている所です。

KさんとMさんに渋谷で出会うの巻

数年前に仕事をしたKさんとMさんに渋谷の歩道橋でばったり会った。

最初、カメラが歩道橋から渋谷駅を撮っていたので、実景撮りなんだろうなと思って通り過ぎようとしたら「坂牧さん」との声。振り向くとKさんがいた。

思わず「うわ!」と叫ぶ。別に彼が苦手とかではなく、ばったり会うのが意外と得意ではないのだ。私から声をかける方なら心の準備が出来ているので結構話せるのだが、向こうから声をかけられるとあがってしまう。

これは電話でもそうで、自分からかける時は話せるのだが、かかってくると焦る。場合によっては出ないでおいて、心の準備をしてすぐにかけ直す。・・・・・・大人げない。

という訳で、向こうから声をかけられた私はしどろもどろになった。

Kさんとは色々あって、色々あり過ぎて一周過ぎて今は笑える話になっている。私だけかもしれないが。

当時色々あってかなりくすんでいた彼の目は今、出会った頃のようにキラキラしていた。という事は私の目もキラキラ・・・・・・してないな。

Kさんは同い年なのだが、とてもそんな風には見えない。なんというか誤解を怖れずに書くと王子様のような人で、ある意味浮世離れをしていた。

そんな彼と仕事をするとなると浮世離れでは負けていない私とは、当時相当な”浮世離れの色々”があった。

今思えば、若さゆえの・・・・・・遠い目。

なんてカッコつけてる場合ではないほど色々やらかしあったのだが、彼との接点がなくなってからも何故か解らないが、Kさんはどうしてんのかなと、たまに、本当にたまに思ったりしていた。

一方のMさんはそんなKさんと仕事をしている、地に足の着いた男である。大人である。

彼の家には何回かKさんの仕事でお邪魔した事がある。Mさんとは当時Kさんのことを「あーだこーだ」言いながら仕事をした仲である。

その「あーだこーだ」も結局のところ思い出に変わってしまっている。月日とはそんなもんだなと改めて思った。

「映画撮ったんで観てね」歩道橋でKさんとまともに話したのこれだけだ。「観に行きますよ」Kさんは例によってキラキラした目で言った。

多分来ないだろう。

それでいいのだ。私とKさんの縁は今、このくらいが良いのだと思う。

私はKさんがまだ同じ仕事をしていたのが嬉しかったし、その横にMさんが当時と余り変わらない佇まいでKさんと一緒にいた事が嬉しかった。

そんな彼らに映画が撮れた事を報告出来たのが良かった。

KさんとMさんとはまた何処かですれ違うと思う。

たまに交われば充分だ。

以上、KさんとMさんに渋谷で出会うの巻でした。

ある女優さんとのお話。

もう15年の付き合いの女優さんがいる。

彼女とは15年前の冬、私が俳優を辞めようと決心した舞台で知り合った。その舞台は業界でも厳しくて有名な演出家が作、演出をつとめていた。

厳しいと言ってもそれほどでもと思っていたが、とんでもなかった。厳しさは度を超していた。毎日、稽古場では演出家の罵声が飛ぶ。「馬鹿!芝居すんな!」「下手くそ!お前は何もするな!」最後には「おまえはピーか!」放送禁止用語の罵声が飛んで来た。

罵声を食らい続けて、私の心は完全に”ひしゃげ”最後にはポトリと落ちた。あとにも先にもあれだけ罵声を食らったのは初めてだった。ある日、ふと「もう辞めよう」と思った。プロデューサーに「やれません」そう言って電話を切った日の事は今でも覚えている。それ以降、俳優として演技をした事はない。頼まれてちょっと出た事は何回かはあるが、スタンスは作り手側だ。

当時の私は俳優としてこれからやっていけるのかという疑問をずっと持っていた。そんな時に、この演出家と出会った。実は今では彼に感謝している。俳優を辞めるという決断をさせてくれたのは彼だ。

そして彼の演出がなかったら、私はこの仕事をしていなかったかもしれないのだから。

私にとって彼の演出は、自分が演じたい芝居だった。彼の演出は頭では解るのだ。だが、身体が解らない。どんなに頭で理解しても、身体が動かなければ意味はない。演出家の言う事を聞かないこの身体は、俳優に適した身体ではない。この時に確信した。演出家の求める演出を、しかもやりたいと心から思った演技を自分の身体が出来ないという事は、俳優という職業には向いていないのだ。私はそう思った。

今の仕事ならどんな罵声を受けてもやるだろう・・・・・・いや罵声はやっぱり嫌だな。やるけどね。

15年前に受けた演出が、今の私の演出法だ。ちょっと変わっていると言われる私の演出法は15年前にその演出家から受けた言葉をいかに”解りやすく伝えるか”からスタートして、今の形になった。罵声がなくても、出来ると思ったからだ。

演出家の名誉の為に書いておくが、彼の舞台は本当に素晴らしい。何度か観に行ったが毎回圧倒された。俳優の身体を極限まで追い込んで、その俳優の生き様すらも見せつける舞台は、彼の言っている事の正しさを証明していると思う。そして彼の厳しい演出をくぐりぬけてきた俳優達は、俳優を超えた人として舞台に立っていた。今でも彼らの芝居を超えるは演技をする俳優には中々会わない。

去年の夏、その舞台に出た女優さんと久しぶりに会った。映画や舞台に出ているのは知っていたが、中々観に行く機会がなかった。「良太、私、今度映画に出るんや」と嬉しそうに言っていた。映画のタイトルを聞いて「マジ!?」と言ってしまった。何故なら、私はその映画の予告編を何度も観ていたからだ。

ちょい役なのかなと思っていたらとんでもない、予告編にも出ているくらいのメインの役。「わからへんよね、だって私眉毛なかったし・・・・・・」楽しそうに笑う彼女の前で私は「あ!」と言った。確かに出ていた。眉毛がないと聞いて、あの役しかないと思ったからだ。「マジで解らんかった」と言った時、彼女は本当に楽しそうだった。

その映画の迫真の演技が評価され、彼女は今、色んな所で活躍をしている。出会って15年、歩みを止めぬ彼女に私はいつも刺激を受ける。

私が辞めるきっかけになった舞台で、今も付き合いがあるのは彼女ともう1人の俳優だ。彼は今、俳優と映画監督をやっている。正直、監督作品は優秀である。路線が違うから・・・・・・そう言い聞かせている。ちょっと脅威だ。

15年前、舞台が終わったある日、私はその舞台の出演者に呼び出された。逃げ出した事を散々責められるのだろうと覚悟していた。彼らは私に「続けていれば、またいつか作品で出会う」と言った。その言葉を私は今も大事にしている。

表現の形は変わったが私はまだ続けている。へばりついている。辞めろと言われても絶対に辞めない。

自分の身体では出来なかった”あの演出”を演出家として俳優に伝えている。この演出法は間違っていないと思っているし、この演出法でいい作品を創ろうと思っている。

彼女とはいつか仕事場で出会うだろう。続けているのだから。

そのいつかは近いと信じている。

さて仕事に戻ろうっと。

2014年のご挨拶にかえて。

喪中につき新年のご挨拶は控えさせて頂きます。

さて明けて2014年。過ぎた年を振り返っても仕方なし。

ただ、2013年は久しぶりに作品を発表しなかった年になりました。
実は毎年、何らかの作品は発表していたんです。

年末、とある飲み会で「去年を一文字で表すと?」と聞かれました。
とっさに出た言葉が「怠」でした。
我ながらネガティブなワードではあります。

でも今気がつきました。
「怠」の文字を解体すると心の上に台が乗っている。
すなわち台が乗っても折れぬ心を養う一年だったのではないか。

今年は心の上に乗った台をふんが!と持ち上げる年にします。
ふんが!と持ち上げた心から出る作品は、今までとは少し違います。

30才最後の年。
今年はふんが!と心の上に乗った台を持ち上げ続けながら作品を発表します。

私生活はかなり激変しました。
それを支えてくれたのは家族であり、友であり、仲間でした。

今年も激変は続きます。
だからこそ自分の「心」をもっと曝け出して暴れます。
その為には皆さんの「心」を少しだけ、ほんの少しだけ僕に向けていて下さい。

作品では暴れますが、お酒の席では暴れません。

変わらないところは変わらず、変わるところは変わる。

まずはダイエットでしょうか。
先日、友人に太りましたねと言われました。

心だけではなく、身体にも台がついてしまったようです。
心の台を持ち上げれば、おのずと身体の台も落ちていく・・・・・・筈。

まずはスレンダーを目指します。
あれ?なんかぶれてるな。

それが坂牧カラーという事で。

今年も宜しくお願いします。

坂牧良太

祖母が亡くなった。

11月1日の朝、祖母が永眠しました。93才。老衰でした。父が早く亡くなり、12才の頃から今までずっと一緒でした。私が10才の時に父が他界し、母親が働いていたので私にとっては母親同然でした。思えば、今までずっと祖母を心配をさせていたように思います。

 

私は小学校6年生の3学期から不登校児になり、その後何年か家に籠っていました。当時はひきこもりなんて言葉はありませんでした。同時に強迫神経症等の神経症を発症し、一時期は家から一歩も出られなかった時がありました。

 

最初は私が学校に行けない事に祖母は強く反発しました。無理矢理連れて行かれた事も何度もあります。その時は祖母の無理解を恨みました。でも現代、この東京でさえ、未だに心の病に対しては偏見があります。私でさえ自分が心の病を持っているという事を公の場で書くのは、いささかの勇気が必要です。

 

私の場合は「こぼれる月」で自分の事と書いているので、だいぶ抵抗はなくなりましたが。私自身でさえこう思うのです。祖母に理解しろという方が不可能でしょう。祖母は私に“普通”になってもらいたい一心で、厳しく接したのだと思います。

 

やがて家の部屋に籠って2年がたち、私や母がどうしていいか解らなくなり絶望的な気持ちになっていた時。病院の精神科に一緒に行ってくれたのは他ならぬ祖母でした。心ではどう思っていたかは解りません。ですが、彼女がいなければ私は治療を受ける事はなかったと思います。

 

当時の私は、精神科に行くことは「私の人生は終わりだ」と思っていて、治療を真剣にする気などありませんでした。そんな私を祖母は精神科に何度も連れて行ってくれました。

 

中々回復しない私の症状。一時期は文字を書けず、名前も言えない時がありました。母親はそんな私を見て、この子はもう駄目だと途方に暮れたそうです。でも祖母だけは私に積極的に話しかけにきました。時に酷い言葉を言ったり、暴れた事もありました。それでも祖母はやはり私の部屋にやってきて、精神科に連れて行ってくれました。

 

あの頃の祖母との思い出で最初に浮かんだのは、一時的に拒食症になった時の事です。何日間もご飯を食べられない私に祖母はお寿司を買ってきてくれました。祖母が机に置いてくれたお寿司。何故か急に食欲が湧いてきてお寿司を全部食べました。祖母がどんな言葉をかけてくれたのかは覚えていませんが、その事を強烈に覚えています。

 

心を病んだ孫にどう接したらいいのか。祖母にとっては試行錯誤の日々だったと思います。あんなに元気だった孫が、中学生になってからほとんど学校に行かず部屋に籠り、長髪になって無精髭をはやしている。そして強迫行動である手洗いを繰り返している。この時点で祖母には絶対に理解し難い状況です。私自身でさえ、あの時何故ああなったのか未だに理解出来ていないのですから。

 

祖母は言葉では学校へ行けと言い続けていましたが、私が心を病んだ最初の頃以外は私に学校へ無理矢理行せようとはしませんでした。むしろ部屋に籠る私に無駄話などをして、私に負担をかけないようにしていたように思います。

 

やがて病状は良くなったり悪くなったりを繰り返しながらも、少しずつ外出が出来るようになってきました。そして紆余曲折の果てに今の仕事に着いた時、祖母は私の事を近所の人に自慢していたそうです。

 

ここで私の心の病も解放に向かい、仕事も順調にこなせていれば祖母を安心させる事が出来たでしょう。ですが、今も仕事は出来ますが心の病が完全に治った訳ではありません。そしてこの仕事で食べられているかと聞かれれば微妙です。

 

私は祖母にこの歳になっても心配をかけていたように思います。

 

今年の1月に祖母が肺炎をこじらせて呼吸器が必要になりました。みるみる祖母は弱っていきました。家で介護するのが困難になり、3月から高円寺の老人ホームに入ることになりました。27年間、当たり前のよう我が家にいた祖母が家からいなくなりました。

 

私は何か理由をつけて祖母に会う事を避けていました。祖母の老いから目を背けていたのです。私にとって祖母はいつまでたっても、私の手を引いて病院に連れて行ってくれる力強い女性でいて欲しかったのです。私の身勝手な考えです。祖母は私に会いに来て欲しいとは言わなかったみたいですが、私が何をしているかは気にしていたようです。私はそんな祖母の気持ちに応えようとしませんでした。高円寺に足がどうしても向きませんでした。

 

先月、祖母が危篤になったと母から連絡がありました。病院に行くと簡易ベッドに祖母が横たわっていました。祖母と二人になる時間が出来たので話をしました。痩せた祖母を目の当たりにして、これが最後かもしれないと思ったからです。

 

病床で話しかけると祖母は返答をします。意識がはっきりしていないので、支離滅裂な部分もありましたが祖母に、病院が自宅の近くだからこれからは会えるよと言うと嬉しそうにしていました。祖母は言いませんでしたが、やはり長く住んだ自宅にいたいと心では思っていたのでしょう。高円寺に行かせたのは仕方がなかったと思うようにしていますが、今でも後悔はあります。

 

彼女の生きようという心が強かったのか、一時的ではありますが奇跡的に持ち直しました。ただ祖母の余命は長くはないと医者は私たちに告げました。

 

その後、お見舞いに出来るだけ行きました。記憶力が徐々に悪化していき、やがて私の事を認識する事が出来なくなる日も増えてきました。ご飯を食べる事が出来なくなり、点滴だけの日々。母親は、お腹が減ったと訴える祖母をみるのが辛いと言っていました。

 

ある日、お見舞いに行った日。ちょっと急用が出来て一度家に帰りました。その時にバックを病室に置きっぱなしにしていたのですが、祖母には解らないだろうと思って放置しました。3時間後に病室に戻ると叔母がいて祖母が私のことが心配で、ずっと看護婦さんに孫が何処かへ行ったと訴えていたと聞かされました。その時にはなんとも言えない気持ちになりました。また祖母に心配をかけてしまったと。

 

入院から2週間後、病院からホスピスに転院する事になりました。祖母は何を感じたのでしょうか。生きようという思いが強い祖母は多分気がついていたでしょう。

 

ホスピスに入った2週間後。11月1日の朝。容態が急変し、祖母は永眠しました。看護婦さんによると前日の夜まで祖母は元気に話していたそうです。

 

祖母の遺体を見ても未だに信じる事が出来ません。悲しい気持ちにもなりません。ただ淡々と葬儀に備えています。この文章を書く事で心の整理が少しでもつくかとも思いましたが、祖母が買って来てくれたあの時のお寿司の事を思い出したくらいです。

 

他の沢山の思い出は霧の向こうにあって余り思い出せません。私は思い出したくないのだと思います。

 

ただベッドに横たわっている祖母のかけ布団からはみ出した、祖母の足が真っ白になっていたのを見た時だけ、あ、もう祖母と話す事は出来ないのだと思いました。

 

祖母はあの時にどんな気持ちでお寿司を買って来たのでしょうか。あの時に祖母が私を見て思った事を、私は少しでも和らげる事が出来たのでしょうか。

 

その夜、私は久しぶりに深酒をしました。そして、いつものように面倒な酔い方をして帰宅しました。夢枕に祖母が立つなんて事は私にとってはドラマの中の出来事のようです。

 

翌日、二日酔いで午前中を棒に振っただけです。祖母は飲み過ぎだと笑うのでしょうか。

 

日々は過ぎます。私は祖母がいなくなった事を実感出来るのでしょうか。私の心は祖母の死を悲しめない程の不感症になってしまったのかもしれません。

 

今は心配をかけ続けて申し訳ないという気持ちだけしかないです。12才から私を育ててくれたのは祖母でした。生粋のおばあちゃん子でした。

 

私は今も悲しめません。ただ葬儀の日に祖母には「ありがとう」とは声をかけます。何度言っても足りないでしょう。でも一度だけしか言わないつもりです。何度も言えば祖母はうるさいと思うでしょう。

 

あの時のお寿司の味は覚えていません。あの時の祖母の顔も覚えていません。ただ、お寿司を食べられた時に本当にありがとうと思った事だけは覚えています。

 

ありがとう。おばあちゃん。

「芦原君と二ノ宮君」映画「魅力の人間」@テアトル新宿

かなり久しぶりの更新。最近はフェイスブックに文章を書いていたのだけど、友人のみしか観られないので、多くの人に読んでもらいたい時はこちらに書く事にする。

遅ればせながら今年も宜しくお願いします。

新年、最初に観た映画のことを書く。

芦原健介君は飲み友達である。でも俳優である。でもやっぱり飲み友達である。

未だ仕事を一緒にしたことはないし、先のことも解らない。

芦原健介は魅力的な人間である。よく二人で飲んだくれて前後不覚になって信用を失ったりして、翌日メールで反省し合う関係。

今度は気をつけようねと言って、結局同じ事を繰り返す関係。向こうは知らないが、僕は芦原という人間が好きだ。

だから僕は自分が飲みたいと思った時は、ほぼ誘っている。最近忙しいみたいで、中々会えないのが残念なんだけど。

そんな芦原君が「是非観て欲しい」という映画が二ノ宮隆太郎監督の「魅力の人間」だ。

二ノ宮君の作品は一度だけ観た事があった。「楽しんでほしい」という作品なのだが、彼と実の父親が出演するという極めて私的な作品だ。例え本当の二ノ宮家を描いたのではないにしても、やはり私的な部分は出ると思うし、そもそも実の父親と共演し、実の父親を演出するということなんて僕には出来ない。

父親の家を訪れる二ノ宮君と父親とのやりとりは、ほどよい距離感と、えぐるような残酷さを持っていて単純に「なんか後味が良い作品だな」と思った。平成に現れた文学映画?みたいな感じ。作品だけでなく彼の演技も良い。特徴のあるルックスが演技にあっていて、違和感がない。

困る。最近、監督と俳優、どちらも出来る若い人達が出て来た。困る。自分の居場所がどんどんなくなる気がする。でも彼らが魅力的な人間なのだから仕方がない。

ペラッペラの僕とは違うのだ。素直にごめんなさいと白旗を上げる。他の部分でなんとか生き残るしかない。他の部分は現在も模索中だ。

そんな二ノ宮監督の新作が「魅力の人間」である。自動販売機の修理工場で働く男たちの些細な日常を描いている。主人公?を演じているのが二ノ宮君で、その同僚の一人を演じているのが芦原君だ。

久しぶりに良い意味で自主映画っぽい作品を観た。荒削りながらもやりたい事がはっきり解る作品。最近、巧い!と感心する自主映画の作品が多い中で、ほぼカットも割らずに俳優のお芝居をしっかりと撮って物語にしている。割らないから俳優も逃げ場がない。逃げ場がないから、緊張感が生まれ良い演技になっている。

俳優達の程よい緊張感が、修理工場で働く男達の苛立ちとほどよく合っていて、こういう若い奴らっているんだろうなと思わせる事に成功していたと思う。

芦原君が観て欲しいと言い続けていたのが良く解る。彼の役は芦原君が多分やりたかったことだろうから。芦原君は職場の新人を苛める役なのだが、実に合っている。二ノ宮君自身、あて書きと言っていたのが良く解る。

芦原君は“悲しく優しい”男だと思う。職場での同僚との会話も、あるシーンで二ノ宮君に言われる台詞とそのリアクションも、実に芦原君っぽいのである。

芦原君は“悲しい”。一緒に飲んでいても悲哀があるなと思ってしまう。そして、そんな彼から発せられる言葉は“優しい”のだ。二ノ宮君の俳優達への、もっと言えば人間達へのまなざしの優しさと厳しさが、芦原君だけじゃなく他の出演者の良さを引き出していると感じた。

芦原健介という俳優の演技をテアトル新宿のスクリーンで観られたことが、嬉しかった。

さてこの映画は二ノ宮監督も出演している。困る。芝居が良いのだ。巧いという訳ではない。でも彼の芝居は人を引きつける何かがある。それは俳優にとって一番必要なものだ。彼のお芝居は別の映画で観ているのだが、そこでも異彩を放っていた。彼のシーンはほぼ、出演者を“食っていた”。

「魅力の人間」もそうなのだが、やはり彼のシーンを待ってしまうのだ。それが二ノ宮君の中で成功なのかは解らないが、彼のお芝居は確実に他の俳優が霞むくらいに魅力的なのである。

終演後、Q&Aで「今後自分の出演しない映画を撮りますか?」と聞いた。二ノ宮君は「撮りたいです」と答えた。「でも次の映画には出ます」と。僕は出続ければいいのではないかと思う。彼が出ない彼の映画を観たいかと言われれば今は観たくないからだ。

自分の撮りたいテーマが見つかれば自分が出演する映画を撮ればいいし、俳優としての依頼があればどんどん出て欲しいと思う。

ただ、あえて言うならもう少し女優を魅力的に撮って欲しい。俳優をあれだけ魅力的に撮れるのだから。

最初は長いと思ったんだけど、その後からシーンが蘇ってきて面白かったなと思える、不思議なテイストの作品だった。それが二ノ宮映画なのだろう。国内の上映はしばらくないみたいだが、機会があれば観て欲しい。

二ノ宮君を含め、魅力的な男達が日々を懸命にもがいて生きている姿が活写されているので。

そんな映画を撮る事が出来る二ノ宮監督自身が「魅力の人間」なのだから。

今年はブログも、もう少し書いていきます。

毎年同じ事を書いていますが、今年こそは更新の頻度を上げます。

書きたい事を書けなくなって来ているこの時代にこそ、あえてブログを書いていこうと思う。

今年も宜しくお願いします。

2013/1/15 坂牧良太

僕が必要だそうです。

今日は午後から嵐のようです。
渋谷で打ち合わせがあるんですが。
穏やかな朝だから、これから嵐になるのが信じられないです。

今日はちょっと調子に乗ったので、久しぶりにここに書き込みます。
調子に乗ったというか嬉しいことを言われました。

久しぶりにある俳優さんとお話したんですが、そこである事を言われました。

「僕はいつでも坂牧さんにキャスティングされる準備をしています。それはあなたの演出を信じているからです。その為に他の仕事も頑張れます」

「もちろん他の仕事も全力でやるし、他の監督さんの演出も信じています」と彼は付け加えました。

彼には何年か前に一度ある映像作品でがっつりと演出をしたことがあります。
多分、僕が一番尖っていた時期です。

その時の僕の演出にかなり追い込まれたみたいです。僕は追い込もうと思って俳優を追い込んだことはないのですが、彼は今までで一番追い込まれたと言っていました。

「でもその時があって今の僕があるし、他の作品に出ているときも常にあなたの言葉は意識しています」

嬉しいですよ。
たまにしか撮らない、作らない、僕みたいな監督にそんなことを言ってくれる人がいるということが。

「僕はあなたが必要なんです」

彼はそう言いました。言ってくれました。

僕は誰かに必要とされていると本気で思った時に本気でその気持ち応えようと思います。そういう性格なんです。

僕は必要とされたことが少ないので、その言葉に凄く弱いのです。
ただその言葉が本気かどうかはなんとなく解ります。

僕のような実績のない監督の作品に出たいと思っている俳優さんがいる。
協力したいと言ってくれるスタッフさんがいる。
彼らの気持ちに全力で応えたいと僕は思っています。

単純なんです。僕という人間は。

だからこそ作品で応えたいと思っているのです。
ありがたい事にそう言ってくれる仲間を何人か知っています。
口先だけではない言葉を言ってくれる仲間を。

その人達の期待に応える作品を作りたいなと思います。
その人達がやって良かったと思える作品を撮りたいです。
潤沢でない予算の中、心と身体を削ってやってくれていると知っているからです。

映画や舞台は彼らの何日かを、何ヶ月かを犠牲にさせる魔物だから。

だからその人達の想いをないがしろにする人達を僕は許しません。
口先だけの人なんて、すぐに解ります。

”綺麗ごと”と言われても、僕は彼らの気持ちに応えたいと思うのです。
その人達と作品を創りたいと思うのです。

だから僕はその俳優の為に頑張れます。
彼の言葉を噛み締めて今日も頑張れます。

心から必要とされることのありがたさを感じますから。

僕は単純なんです。

だから表現したいと思えるのです。

僕の原点は必要とされる喜びですから。

Twitter Updates for 2012-03-15

  • Posted by: Ryota
  • 2012 年 3 月 15 日 7:52 PM
  • Twitter
  • 打ち合わせが終わらない・・・。 #
  • テクニックとか考えずに書いていた。でもテクニックが必要だと気がついて勉強した。そして今またテクニックを考えずに書いてみたいと思っている。変わる。変わらない。変わらないでも変わっている。でも絶対に変わらないのは遅いこと。一番変わりたいところが変われないんだよ。焦るな。 #
  • ある学生さんの台本を読ませてもらったのだが、刺激になった。荒削りだけど激しさを感じる台本だった。僕はいつからこんなこじんまりとした台本を書くようになったのだろう。巧くまとめるのは技術。でも激しさは心。どちらも今の僕には必要だ。 #
  • もうずっとスランプなんだけど、かろうじて書いている感じ。スラスラなんて書けたためしがない。いつもギリギリ。僕は常に何かに抵抗している気がする。でもそこを崩したら終わりだと思っている。そんな”世迷いごと”を書いている暇があったら書き上げろと自分で思うよ。独り言でした。 #
  • 何を書いても言い訳なのだよね汗。ちゃんと書いて面白い人沢山知っているから。だから尊敬するんだけどね。 #

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Twitter Updates for 2012-03-14

  • Posted by: Ryota
  • 2012 年 3 月 14 日 7:52 PM
  • Twitter
  • 長い揺れだったな。 #
  • docomoの地震速報にびっくり。呟きを書いている間に日本得点した。 #
  • 渋谷にDVDを返しに行かねばならないのだが、寒くて面倒。 #
  • 外に出てないから、人ごみが結構辛いんだよな。 #

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